インド舞踊とは
インドに於ける”ダンス”
インドは人口が世界2位、様々な人種や民族が入り混じり、言葉も主なものだけでも20種類以上あります。そして、インド人ほど踊りの好きな国民はほかにいないかも知れないほど、あらゆる場面で踊りが登場します。そんなインドにはたくさんの種類の踊りがあります。 主に寺院や王宮で発達した古典舞踊、人々の生活に密着したフォークダンス、もっとプリミティヴな部族の踊り、そして近代映画の発達にともなって盛んになったムフィルムダンスなどです。
舞踊の起源
インドの舞踊の起源は、モヘンジョダロ(現パキスタン内)の移籍から発掘された「踊り子の像」などから、紀元前2500年に遡ると考えられています。また、古典舞踊は、多くは寺院の宗教儀礼から始まったと言われています。
インド8大舞踊
現在インドには公式に認められている古典舞踊は8種類あります。ナーティヤ・シャーストラ、アビナヤダルパナなどの演劇と音楽に関する聖典に記述のある伝統的なスタイルを守りながらも、それぞれの地域の独自性を持っています。インド8大舞踊とは、南インド・タミルナドゥ州のバラタナティヤム、ケララ州のカタカリとモヒニアッタム、アンドラプラデーシュ州のクチプディ、北インド・ウッタルプラデーシュ州のカタック、東インド・マニプール州ののマニプリ、アッサム州のサットリヤ、そしてオリッサのオディッシー(オリッシー)などです。
インド古典舞踊の特徴
共通する特徴としては、仏像などに見られる”ムドラー”と呼ばれる手の形や組み合わせで物語や情景、登場人物の感情や神の性格をあらわす事、眼の動きや顔の表情でムードや感情を表現する事、足には鈴を付けてステップを踏みリズムを取る事などです。
ヌリッタと呼ばれる、純粋に動きやリズム、フォームを見せる踊りと、ヌリッティヤと呼ばれる、神々や人間、動物たちの登場する、物語、感情などを、美しい詩にのせて表現する踊りの2種類に分かれます。
また、手の赴くところに眼が赴き、眼の赴くところに心が赴く
と言われるように、自信のあらゆる部分を使って踊ることが必要です。
オディッシー(オリッシー)・インド古典舞踊とは
オディッシーのはじまり
オデッィッシーはインドの東部オリッサ地方に受け継がれてきた古典舞踊です。ベンガル湾に臨むこの地は、8世紀から13世紀にかけて、プーリーのジャガンナート寺院、コナラクのスーリヤ寺院などの数々の壮麗な石像寺院が建立され、ヒンドゥー教の聖地として栄えました。
クリシュナ=ジャガンナートに対するバクティ信仰が盛んだったこの地の寺院には歌舞殿が設けられ、日夜音楽と舞踊が神々への捧げ物として奉献されました。 踊り子たちは「マハリ=崇高な女性」と呼ばれ、尊敬を集めていました。その踊りは、今日も壁に刻まれた幾百幾千の彫像の、流れる線のごとくに美しく、あたかもそれが生命を得て動き出したかのようであったといいます。
オディッシーの衰退
しかしながら、16世紀にアフガニスタンなどからのムスリム(回教徒)のインド・オリッサへの侵攻により、オディッシーの伝統は大打撃を受けてしまします。マハリ達は王族達の妾に成り下がったと考えられ、踊りの崇高性は失われることとなりました。近代になり、イギリスの統治下になると、ほとんどその伝統は消え、高度な踊りの詳細も分からなくなってしまいました。
オディッシーのリバイバル
そんなオディッシーの受難時代の中でもゴッテプオと呼ばれる女装の少年ダンサーや、残っていたマハリ達の間に細々と踊りの伝統は伝えられていました。そしてインドの独立運動が盛り上がるさなか、各地で起こった自分たちの伝統を取り戻そうという動きの中で、自らがゴッテプオであったり、マハリの家系出身だった、その後グル(マスター、師匠)となる数名が集まり、今日眼にすることが出来るオディッシーをみごと復元し、見事な舞台芸術として復活を遂げたのです。
GURU〜師匠たち
グル・パンカジチャラン・ダース Guru Pankajicharan Das
今日のオディッシーにかけがえのないのない存在と言えば、まず、グル・パンカジチャラン・ダースがあげられます。彼はマハリの家庭で育ち、後に世界的にオディッシーを有名にした、伝説のグル、ケルチャラン・モハパトラなどをを訓練して育てた方です。写真は女装の少年ダンサーゴッテプオ達を訓練しているところです。
グル・ケルチャラン・モハパトラ Guru Kelucharan Mohapatra
オディッシーの力強くダイナミックな特徴だけでなく、深く、かつ繊細に人間の内面を描く振り付け家であるとともに、最高のダンサーで有り続けた、もっとも敬愛するグルです。また、オディッシーの伴奏楽器パカワージのプレーヤーとしても一流でした。彼の優美な踊りに海外の愛好家も魅了され、オディッシーは世界的な芸術として認められました。
グル・デーバ・プラッサード・ダース Guru Debaprasad Das
グル・ケルチャランとは対照的な、ダイナミックでタンタヴァ的(男性的)な要素の濃い振り付けは、多くの弟子に引き継がれ、今日オディッシーの2大流派のひとつを形作っています。
グル・ガンガーダル・プラダン Guru Gangadhar Pradan
グル・ケルチャランのスタイルを引き継ぎ、オリッサ・ダンスアカデミーを創立、多くのダンサーを育てた功績は歴史に残る、大グルジーです。
オディッシーの特徴
基本ポーズ 1
トゥリバンギ〜Tribhanga or tribhanga
頭と腰と膝の3点を曲げた、オディッシー独特のポーズです。これは、樹下美人などに見られる、インド美術のいわば美の表現の基本でもあります。TRI とは、”3”を表し、曲げる回数、足のポジション、肘や膝など、あらゆる身体の箇所に”3”がみたれ、これは女性性の表現であり、愛の神クリシュナのポーズでもあります。
基本ポーズ 2
チョウカ~〜Chouka
”4”、または”土台”を意味し、男性性、不動性、宇宙の主ジョゴンナートを表します。
腕は肩からまっすぐ横にのばして、肘から前に90度の角度で折ります。
足は180度の角度で横に開き、腕、脚それぞれの作る角度が4画を作ります。
基本ポーズ 3
アバンガ〜Abhanga or Ardhabhabga
アルダバンガとも言われ、トゥリバンガの半分”曲がったと言ういみで、シヴァの神妃パールヴァティーなどのポーズを表したりします。
基本ポーズ 4
サーマバンガ Samabhabga
サーマーsamaとは、まっすぐ、そのまま、と言うような意味で、特に何の意味もせずに立つことです。
"バンギ"とは、「曲がること」という意味ですが、オディッシーダンスには、その他様々な"バンギ"があり、身体を如何にバランス良く、美しく曲げて、ポーズを取れるかも、ダンサーの力量です。
衣装、アクセサリー
衣装〜ドーティースタイル。
今日一番歩ポピュラーなスタイルで、流派や時代で若干の流行が反映される。もともと男性が身につける”ドーティー”をアレンジした物です。素材はオリッサの、サンバルプールシルクや、ボンカイシルクが使われます。
衣装〜センターファン・スタイル
一昔前までの主流であったスタイル。かつては膝上丈のものも多かったが、最近は長いファンが流行のようだ。
マハリ・スタイル
かつてのマハリの衣装のリバイバル. 頭の上に立てた3本のシカラ(塔)に特徴がある。
1981年頃のバリパダのダンサー
アクセサリーはシルバーではなく、イミテーションの真珠を糸で綴って作っていた。現在のゴッテプオとよく似たスタイル。プシュパンジャリ(献花)に使う花を、蓮の葉の上に乗せていた。男性ではなく、れっきとした女性ダンサー。
アクセサリー
オリッサはインドでも屈指の銀の産地です。そのため、オディッシーダンスのアクセサリーは全て銀で出来ています。
●伝統的な”カッポー(TM)と呼ばれるデザインのイヤリングと、おそろいの”ティカ”と呼ばれる額の飾り | ●最近は新しいデザインも多く作られるようになった。一番下に下がった部分はジュンカと言い、お寺の釣鐘を表している。 | ●大きなお団子に結ったわげの真ん中に着けるかんざし |
●腕輪または”チュディ”いろいろなデザインがあるが、これも"カッポー" | ●二の腕につけるアームレット。 | ●胸の前に大きく垂らす"マラ"と、チョーカーのような小さなネックレス |
●ベンゴパティヤと呼ばれる、オディッシーダンス独特のベルト | ●ベンゴパティヤのディテール。細かいオリッサ風の精巧なワークがほどこされている | ●タヒヤと呼ばれる、花を象った頭飾り。真ん中に立てる、長細い飾りは"シカラ"と呼ばれるが、これはお寺の塔を意味し、これをまとうことで踊り手は神聖さを帯びることになる |